「女性と見なされること」になんとなく抵抗がある話(tobe)
当ブログの相棒・唯川ちゃんが息を吹き返した!!(クララが立った的な)
めでたいめでたい。今度コンビニでおにぎり選ぶときは赤飯を買おう。
さて、今回はレスしてもらったので嬉々として答えていく記事です。
「女性」がキショい件
ハッ…主語を捉え違えて怒られそう!炎上案件!
tobeは「自営業25歳独身女性」なんですけれども。 …この字面キショいなぁ〜。ね、唯川さんや。
というtobeの発言。もう2ヶ月近く前の記事からだけど、思いつきではなく、日頃から思っていること。私が「女性である」って、なんだかキショい。
「どこがキショいのか分からない」という唯川さんと私は、付き合いが長い。私が化粧をしてショート丈のワンピースを着て、髪を巻いていた時代に出会っている。
ちなみに現在のtobeは、端的に言えばボーイッシュ。髪の長さは肩にも付かず、だいたい黒スキニーに白いオーバーサイズのTシャツを着て、スニーカーかヒールのない革靴を履き、背中は丸まっている(これは改善中)。
ので、これから言うことがさらにハテナマークを増殖させそうであるけれど、
tobeは女性であると見られることに昔から反抗的だ。
事実なのだが、キモくて嫌なのである。
ほとんど掌握できているが、トゲトゲした変な毛虫みたいなのが心中にいる。
昨今に始まった話ではない
私と唯川ちゃんの間には、知り合った頃からの共通の友人がいて、彼はFtM(性同一性障害・体は女性で産まれたが、心は男性)だ。
彼からカミングアウトされたのは、もう6年ほど前に遡る。私たちは大学生だった。
確かに、カミングアウトによって私の立場は「ただ授業で習った人」から「当事者の友達」に変わり、今まで以上にLGBT+の話題を意識的に受け取るようになったことには違いない。
「そもそも女性とは?男性とは?」と考えるようになったし、なるべく相手の性に囚われずにコミュニケーションすることを心掛けるようにもなった。
影響は受けたけれど、それよりずっと前、
コイツは私の中に幼いころからず〜〜っといたのだ。
最初の違和感は幼稚園生のとき。
ミニモニが流行っていた当時、幼稚園では何かにつけて保護者会の費用から記念品がもらえたのだが、女の子は問答無用で「ミニモニのイラストのハンカチ・鉛筆セット」であった。
一度も使うことなく、即座にすべて母に譲っている。
単純にミニモニ嫌いだっただけかもしれんけど。それはごめんって。
また、うちの父はザ・古典的なおっさんで「顔がゲイっぽい」というだけで人を気持ち悪がるような頭の硬い残念人間であるが、
「◯◯ちゃんも高校生になったらお化粧とかするようになっちゃうんだろうなァ〜」
という発言に、幼児であった私はひどく拒否感を覚えた。
(今回はこの発言内容の是非は置いておく。おじさん断罪してたらキリがない)
オラぜってえ化粧しねえ!と決めたのは齢・5歳にしてである。反抗期早。
心での宣誓どおり、私は高校生になってもほとんど化粧をしなかった。
お嫁さん・お母さんへの憧れ
そういえば、幼い女の子がテレビで「大きくなったらパパ(みたいな人)と結婚する」だの、「将来の夢はお嫁さん・お母さん」だのと言っているのを、何度か見たことがある。自分の周りにも実在した気もする。
あーそれ、思ったことないなあ。
これは最近になって気が付いた。25にもなると結婚や人生観の話題を友達とするのだけれど、ウェディングドレスを着たい!とか、結婚式はハワイがいい!とか(これは少々大人の発想か?)、子どもは何人欲しい!とか。なんかそういう憧れ的なやつ。
自分が女性としての人生を歩み、
お嫁さんやお母さんになり得るという事実に、割とまともに気がついていなかった。
自覚とは裏腹に女性になる身体
胸が膨らみ始めるのも、生理が来るのも、上背があったくせに周囲より遅かった。
…というのもあって、友人間では話題を共有できず(すでに終わってたっぽい)、家族の間では子どもではないがゆえに話しづらかった。
もともとの趣味として、インナーはグレーかネイビーかブルーで、リボンやフリフリなんか絶対ついてないやつを買ってもらっていたし、第二次性徴のすべてが喜びの感情を伴っていなかった。
初潮を父親に伝えていいか確認されたとき、私は迷わず断った。赤飯は大好きだけど我慢した。
なんかすげえ嫌だった。
いまも背中が丸いのは、育ってしまった胸をずっと隠そうとしてきたせいだと思う。自分で下着を買うようになって、盛りブラの真逆みたいな効果のものを調達した。
姿勢の改善を図ったせいか、最近効果が薄れてきている気がしているけど。
一旦"女性"に染まろうとしてみたハタチ前
高校三年生、体育祭のダンスでポニーテールをするために髪を胸まで伸ばしていた。美容院が面倒くさかったのが半分本音。ついでに初めてパーマも当ててみた。
化粧はロクに覚えないまま卒業したけれど、制服もスカートだったし、それなりに折っていたし比較的「女子」をできていた期間だった。
そこから大学序盤までの期間、
前述の通りヒールを履きワンピースを着てアクセサリーを付け、今思えばクソみたいなクオリティの化粧を施していた。
何も趣味が変わったとかではない。
ライブハウスに演者として出入りしていたのである。(ここ笑うとこ)
「ライブハウス」と一口に言っても想像する雰囲気は様々だと思うのでご想像におまかせですが、私の戦っていた場所は「可愛くないと勝てない」みたいな場所だった。
超下位互換版・地下アイドル現場。品定めに来るおじさま方がじろり。
酒に酔って絡まれたこともあるし、音楽関係者かと思ってLINEを教えたらパパ活が始まりかけたこともあった。
女性を武器として男性を煽ることができなければ、売れる手立てがない。
私は「女性武器全ジャンル」において実力者ではなかったのに、諦め悪く3年ぐらいその世界にぶら下がり続けた。その間に髪型と服装がどんどん、幼くなった。成熟した性を見せることへの無意識の反抗だったと思う。
解放された今、小規模キャパのライブハウスは、できることならば二度と足を運びたくない空間に変わっていた。
最低でもホール、できればドームクラスのライブが見たいお。
「女の格好」をしているだけでナンパされてた
一方その頃に、渋谷で何度かナンパされた経験がある。髪が長くてヒールでスカートを履いているが、化粧もろくにしていないというのに。
ちなみに当時より今の方が渋谷に出る回数は多いけれど、髪を短くしてから一切誰からも声を掛けられていない。(なんとなく虚しい響きな気もせんでもない)
性格の微妙さは当時も今も変わっていない。所作も大差ない。体重も落ちたので今の方がスタイル的な見栄えはマシだ。
それでも結果が物を言う。きっと世の人は記号的に「"コレとコレを身につけているこういう形状の女性"が、引っ掛けるべき対象である」ということを、本能か環境のなかで刷り込まれているのだと思う。
それもそれで、微塵も本人見てなくてキショめだよね。
面白い検証結果だ。きっといまの私も明日長髪のウィッグでもかぶってスカートを履きハチ公に立っていたら、きっとすぐに声掛かるだろうさ。
声掛けられたからなんだって話だがな
…コロナだからナンパも下火かもしれないけど。
「女性と見なされること」になんとなく抵抗がある
話を戻して、まとめよう。
「女性がキショい」発言は、「不相応で高尚な、くすぐったいものを押し付けられている感覚」という意味合いであった。
・「女性としての人生」に対する意識が全体的にない
・「女性だから〜〜」という他人の感覚への違和感
・性的機能としての「女性」を求められる拒否感
という感じ。tobeは事実「25歳女性」なのだけど、その字面に想像される「らしさ」の手中にいる気が毛頭しない。
本当は「らしさ」なんていらいないのにね。
その事実が、個人的な性格が手伝って面白くて仕方ない(さすが唯川ちゃんご名答)。私は世の中をからかって遊んでいるのだ。お前らの手中には収まってやらんからな!
こんな年になっても、こんな人もいるんだということ。
居ていいんじゃないすかね、ということ。
自分はいまの世の中のままでも、この点において精神を病むことはない。
だけど、もっと多様なスタンダードが受け入れられるようになれば、「女の子らしくしなさい」なんて言われて苦しむことも、「女性なのにしっかりしてるね」なんて過小評価される屈辱も、味わうことなく済む子が増えるんじゃないかなーと思う。
押し付け合わず、ひとつにならず。
認め合うだけの、生きやすい世の中になるといいよね。
tobe
P.S. 祝!初の3000字越え。経歴説明みたいなの入る文章はそれだけで長くなっちゃうな。今日は本来、別のトピックで日記書こうと思ってたんだ。でもいたく平凡な話なのでボツにした。おもろい話、していこうぜぇ。
肩書はうんち(唯川)
お久しぶりです、唯川ですよ~~~みんな待ってた~~~~?(待ってたことにする)
お久しぶりしてる間にtobeくんがたくさん更新していてくれて、読むのが大変だった(文句じゃなくて愛よ)
tobeくんの記事を読んで
こんなことが書かれていたので、返信。
自己紹介って「年齢と性別と肩書きを〜」みたいな風潮があって、さらには成人を越えてくると「既婚か未婚か」もさらっと入ってきたりしますよね。 それに従うとtobeは「自営業25歳独身女性」なんですけれども。 …この字面キショいなぁ〜。ね、唯川さんや。
25歳、将来の夢(tobe) - ふたりのzakki
あのね、tobeくんはほんとすぐにキッショ~とかいうんですよ。
でもキショイこと楽しんでますからね。
キショイからこそ立ち上がってる。。。。
そんでだけど、私、このキショ~がどこにかかってるのか判断しかねてる。
「25歳独身」は一般的だと思うので、「自営業」「女性」もしくは「自営業」×「独身女性」がキショイんかな?(ちょっと、真面目に分析するの優しすぎる気がしてきた、答え出ないし)
唯川的にはキショくないかな。
あ、、、だから友達なのか、、、
うーん、、、キショイかなぁ、、、
また、tobeくんがキショイ話は後程考察するとして()、
私の場合
そんなとこでいうと私は、「専業主婦25歳既婚子持女性」。
そして最近、それが悩みです。たいむりー。
中身ねーって思うんだよね、「専業主婦25歳既婚子持女性」。
しかも(後日詳しく書こうと思うけど)職歴なしのADHDのうつ病て(もうだめ)
どんな肩書になったら気持ちいいだろう?
「若手起業家」「年収1000万」「最近SNSで話題の」とか付いたら爽快かな。
・・・なんか、そうじゃない気がしてるんだよな。
肩書って作れる側面もあるけど、やっぱり後から付いてくるもので。
中身じゃなくてうんちなんですよ。(嫌いにならないで)
その人がどんな人か、なにを考えているのか、それは含まれてない。
なにを残してきたか。
それだけで表せられるわけない。
それだけで語れる人生なんてない。
残ったものだけが私じゃない。
自分が大した肩書じゃないからってぶつくさ言ってるんじゃないやい。
なんの功績にもならなくて、頑張ってもすぐに結果なんて出なくて、そもそも良い結果の定義もない日々を送っていると、世界は何にも見てくれてないじゃんってグレちゃう時があるんだよ。肩書で、そうなんですねって顔されたくない。そうなんですねってちょっと私のこと知った顔したらぶん殴りたい気分になると思う(落ち着いて)。
最後にもう一回言いたい。
肩書なんてうんちだ!
私はこのことを忘れずに生きていきたいです。
自慢できる肩書がないことに不安や悲観や喪失感を持たずに生きていきたい。
肩書はうんち。(何度も言うな)
以上、1か月くらい鬱で更新できなかった、
唯川より
やる気スイッチ入りました(tobe)
やべえ。結構サボっちゃった!
自分の思考をまとめるのに別個で日記もつけているので、日記で気が済んでしまうとどうしてもパソコンに手が伸びない、という現象。
こちらの進捗と言いますと、
なんと、やる気スイッチが入りました。(祝)
やる気スイッチ、入る
日記でも同じ現象が起きるのだけど、調子が良くなると自分と向き合うのをやめてしまいがち。でも、過去それで何度も失敗しているので、調子を長続きさせるために小さな変化を記録していくのは大事だと思う。
今回は、調子が良い状態も定期的に客観視していく所存。
前回、出口が見えている気がすると綴ったブログが17日。
なにがきっかけだったのか、20日には「やる気スイッチ、入ったー!!!」とのメモ。嬉しそうな字だった。
最近の変化といえば、こんな感じ。
・新しく好きなアーティストができた
・YouTubeのおすすめで手が伸びる動画の種類が変わった
・身にならない創作を幾つかやった
・決まっていた仕事のスケジュールが動き出した
・ツイッターでネガティブな話題を検索、追従しなくなった
・人と会って話をした
・楽器の手入れをした
・家に花を飾った
まず、こういうアクティブさが出てきていること自体、精神が健康である象徴な気もするけれど…
大きく分けると、「遠ざけるもの」「受容するもの」の変化があった。情報の取捨選択を意図しておこない、暇つぶしに携帯をいじるときは、SNSではなく、情報の入らないパズルゲームを楽しむように変えた。
興味がないような動画も、サムネイルがいい感じだったらタップして観た。(以前は新しいものを受け容れる体力がなかった)
「やる気が出た」と言っても、体力や集中力に上限があるので、進度が爆速になったわけではない。だけど、あらゆることを「やりたいからやる」ようになった。
仕事を仕上げるのに同じだけ時間がかかったとしても、この状態は健康面で喜ばしい。猛ダッシュではなく、ウォーキングかジョギングが理想なのだ。
また友達が鬱になってた
ここでひとつ悲報というか…朗報というか。
この前、高校の同期が(たぶん)鬱だった、と打ち明けてきた。
詳しくはまだ聞いていないが、病院にかかったらしい。
(一応誤解のないように。そう頻繁に連絡を取っている間柄でもない自分に近況を教えてくれることが有難い、という意味の「朗報」だ。)
住んでいる場所も所属も業種もまったく違う。伝えておかないと不具合が生じるような、同じコミュニティにはもういない。それに少なくとも私は鬱の経験者でもなければ、社会福祉士でも医者でもカウンセラーでもない。
言ったところでなんの役に立たない人間に、教えてくれたのだ。
何もできなくて申し訳ないなと思いながら、有り難うと思った。
もう、ここ2年で4人目だ。
元気な友達にちょろっとこぼしたら「ホイホイじゃん」と言われてしまった。確かに、もはや自分の存在が何らかの悪影響を与えてるのでは、とすら思えてきた(皆連絡取ってない間に患っているのだけど)。
友達もそんなに多くない。このままでは「じゃない」方が少なくなってくる勢いだ。
みんな罹る風邪ぐらい、治療/治癒が楽なものであれば良いのだけど。
自分と、自分を信頼してくれている周りの人ぐらいは幸せになってほしい。やれることがあるならなんでもする。一緒にいる。
無力感を噛みつつ、いま個人的にやる気スイッチ入っててよかったなと思うのであった。
引っ張られては仕方がない。気丈でいてこその、打ち明け相手だ。
ここ1、2年ぐらいずっと「己が道を。」という言葉を、反芻し続けている。
tobe
P.S. 最近、病院にかかるケースとの大きな違いだなと思ったのは、私は気分が塞ぎ込んでもグースカ寝れる。
過眠なのもあまり良くないらしいけど、睡眠はいつも8時間ぐらいで、成人にしてはちょっと長いかな程度。妙に体内時計がしっかりしているので、明け方に寝ても大体朝8〜9時に目が覚める。寝坊することはないし、二度寝なり昼寝なりで調整している。
つまるところ、私の「スランプ」はただ単に「やる気がねえ」の状態なのだ。怠慢!
やる気スイッチ掌握の旅は続く…。
スランプの荒療治メモ(tobe)
自粛自粛、の世の中で、なんとなく足止めを食らった気になって、実際は何も滞っていないのに動きが鈍っている。端的にスランプ。
四月、五月、…八月。サボる理由を見つけた魚のようだ。(そんな魚はおらん)
心をほぐしていく体験を、少しずつ増やしていく作業。
結果は出ていないが、結果の出し方は少し見えてきた。
また落とし穴にハマったときのためにメモしておく。
①昔よく聴いてた曲を聴く
嵐の「タイムカプセル」、「Summer Splash」、「Still...」を続けて再生しながらメンタルをエモエモにしている。「言葉より大切なもの」や「season」あたりを追加するのもあり。
心が瑞々しかったあの頃、響いていた音楽。
今に響かなくても、「響いていたこと」が今また響いてくれる。
②外に出る
大暑だ。
外に出て海を見て歩き回り、大汗をかいた。人に戻れて、少し夏休みをやれた気がした。
春がなかったせいか、自分の中で時間が止まってしまっていた感覚があったが、大股で一歩、次の季節には追いつけた。
一体いつ元の世の中に戻るんだろうな。
いや、きっと「戻る」のではなくて「進む」しかないのだということに皆薄々気が付いている。復旧、はインフラまで。あとは乗り越えた上にある復興、だ。
③エンターテインメントに触れる
このあいだ書いたアイドルちゃんのオンラインライブがあった(軽率にチケット買った)。とてもよかった。このまま歌番組に持ってけそうな演出だった。
MCのちょっとした空白をつなぐはずの歓声が、まったく欠如していることだけが悔やまれた。あらためて、ライブは「体験興行」なのだと思い知らされた。
きっとどこの事務所も、大型新人はとくに「赤字でもプロモーション予算を山ほどかけて、売れてから回収する」という算段でやってる。
その計算されたストーリーが白紙になった。現時点での回収ができず、「さらなる継続投資」を余儀なくされている。会社が大きく、体力があるところだけが残っていけるだろう。
「母体の大きさや経験に欠ける新鋭の個人は、きっと淘汰されていくんだろうな」と、そんな気持ちにもなりながら見ていた。
ライブは、他に替え難い大好きな空間だけど、いつもちょっとだけ苦い。
でも、苦味も味のひとつだ。
④やりたいことをぽつぽつ叶えていく
近々映画館に行こう。ぜんぜん興味ないけど、旬の俳優が出てる泣ける実写化純愛モノとか選んでやろう。
もっかい海見たい。水族館も入りたい。
小説を読みたい。好きな作家のまだ読んでないやつをAmazonで頼んじゃおう。
あと、ほったらかしになっていたCSSいじりも再開したいな。
免許も合宿で取るならそろそろ申し込まなきゃ。
動きが見えてきた
心も脳みそも動きを鈍らせていることに気付いて、焦って焦って、焦った。その結果、参って弱り、心が潤いを取り戻しつつある。
この前なんでか分からんけど泣けたし。
ギリギリ怪我の功名。
いま、少しだけ上向きの坂に立てているよ。
自由って怖いね
メキメキ成長していくアイドルちゃんのブログに垣間見えるプライベートを読みながら、「一日一日を浪費していないなぁ」と関心した。とはいえ自分も、学生のころ休みをゴロゴロして潰したりはしなかった。何も実ってないけど趣味に投じていた。
「時間が限られている」という感覚が強かったからだろう。今日が終わったら授業や部活があって、好きなことできる時間はなくなっちゃうから。
浪費することを勿体ないと素直に思える感覚。そのぐらい縛られた生活。
「何にも縛られない自由」は漠然で本当に危ういと、渦中にいて感じる。コロナのずっと前、2年ぐらいこんな生活してるので分かり切っていたことだ。
ナメていたせいで落とし穴に落ちた。
今だって「さすがに寝なきゃ」と慣習で思っているが、明日決まった時間にどこかにいかなくてはいけない用事はない。昼の宅急便を受け取るのに間に合えばいい。
「せねばならぬこと」が、ない。
つまり自分の存在ごとき代替が利いてしまう、ように感じるのだ。
そんなこたあないのは、健康な心で考えたら解るんだけどさ。自分でないとできないこと、響かない人、意味がないことはたくさんある。
でも、そうも思い直せないような暗雲に囲まれてしまうのがスランプなんだろうね。
スランプの荒療治
時間を積極的に消費+他人へ感情移入することで、半ば強制的に切り替えを促すのが今のところ功を奏している感じがある。
夢中になって、満足したあとの「さて、やるか」戦法。
それから、勢い、出たとこ勝負、時間なかったから妥協することも、大事。完璧を追っていく必要はない。
強大な自由を手の内に収めるのはまだまだ先になりそうだけど、うまく付き合っていってやろう。
きっと苦労して軌道修正を試みている今も後学になるからね。
あと最近、恩師が教育人になったのが自分の今ぐらいの歳だったのを思いついて、気が楽になった。あの人もう50過ぎてるけど、子どもに囲まれる立場になったのは今ぐらい。
当時からすごい先生と評判だったわけじゃない。卒業後十何年もOB会に顔を出す教え子を、まだ一人も育て上げていない。
あー、なんだ。まだ人生は全然始まりだった。
どうしても若い人に囲まれていると現時点で「完成形」を追い求めてしまうけど、いや、まだじゃん全然。
なっかなか死ねそうにないよなぁ。
tobe
後遺症:人間不信(tobe)
小学校六年生のとき、「いつも仲良し4人組」の一員だった。
クラスのヒエラルキーでいうところの頂点。休み時間は必ず男子を交えてドッジボールをして遊び、放課後もそんな感じだった。だいたいそれぞれがその中に好きな子がいて、子どもなりの駆け引きをしながら過ごしていたと思う。
4人組のリーダー格が、私に対して当たりを強めているのに気付いたのは秋頃だった。不自然に態度が悪くなったり、輪に呼ばれないことが増えた。
嫌な感じがして、学校を1日仮病でサボった。
翌日から、誰も私を居ないものとして扱うようになった。
人伝に聞いた理由は、要約すると「男子に愛嬌振りまいてたから」らしい。かわいいね〜。
顛末としては、私はヒエラルキーでいう最下層、体育が苦手なタイプの女の子たちに匿ってもらい(もともと仲良かったが)、ターゲットは一ヶ月後には別の子になっていた。
リーダーの子はその後も次々とターゲットを変え、敵を作り過ぎて、最終的に一人ぼっちになってしまったのだった。
教科書に落書きされたとか、トイレで水をかけられたとか、物理的な攻撃は一切受けていない。これを「いじめ」と呼ぶかは個人の裁量だ。
ただ、一人ぼっちの期間は思ったより堪えた。
以降、「二度とハブかれないだけの理由」をずっと探す人生を送っている。
己の存在価値に自信がなかった。今もない。
持ち上がりで中学に入ると、すぐ筆箱とは別に文房具用のポーチを用意して、ハサミやカッター、ホッチキスの替え芯に穴あけパンチまで背負って毎日登下校した。便利で利用価値の高いやつはハブかれないと思ったからだ。
夏休みの後半はメールで「宿題の答えを教えてあげる係」に努めた。
気を逆撫ですることのないよう、全員の名前に「さん」か「ちゃん」を付けて呼んだ。
少しでも機嫌悪く接されたら、翌日からの悪夢へのイメトレを欠かさなかった。
ヒエラルキーの上に行くことは望まず、目立たず静かにやり過ごした。
そんな生き方が、根付いてしまった三年間だった。
いま、「自分と関わった人間は得をしてほしい」と思って生きているけれど、深層的には他人に尽くしたい想いからではない。孤独にならないための理由作りに過ぎない。
13年も前の話なのに。寂しい人間だ。
ずいぶん和らいだけれど、一生完治しない心の後遺症な気がしている。どこかでいつも「明日は孤独だ」「この人も自分を裏切る日が来る」「踊らされている」という可能性(限りなく低く、被害妄想に近い)を、考慮しながら生きている。
この前、隣の家の同級生と家飲みを決行した。よくしゃべる相手だったので2年ぶりに会ったのも相まって夜を明かしてしまったのだけど、
「彼氏いんの?」から始まり、「てか結婚願望ある?笑」を経て、最終的には「色んな人と会った方がいいよ」とのアドバイスを賜ってしまった。
「仲良くなってみないと好きになるかどうかわからないタイプなんでしょ?なら、人脈広げたら好きな人にも会える率あがるって」
難しいこと言うよなぁ(笑)。普通の人だったら何の気なしにくぐれるコミュニケーションの扉が、非常に難関なのだ。一見くぐれたとしても、心が置いていかれている。
「普通が難しい人間」がいるということを、普通の人は想像しない。
「好きだから」とか「なんとなく」といった直感的な理由で、人と居ることを選択できない。そういう不確かな理由で積極的に動けないので、色恋沙汰はおろか友達が増えないのも仕方がない。
人見知りも治ったし、明るい性格のように振舞うことも上手になった。日常生活で困ることはなくなった。
人と接することを極限にまで減らした結果だ。
接さなければ、悩むことも苦しむことも、怯えることもボロが出ることもない。
これを克服して、目指したい別の人格があるわけでもないのだけれど、もう少しハードルを低くして人に話しかけられるようになりたいな〜、と思うことはある。
目下考えている解決方法は、「全部言っちゃう」ことだ。めんどくさいよ、こじらせてるよ、人間不信だよ、と。
新しい人に出会うことが難しい世の中だけれど、ちょっとそれで実験したい気持ちにもなっている。早く外に出掛けられる世界にならないかな。
(tobe)
「継続は涙なり」だったわ(tobe)
はてブのアプリ入れてるんですが、「◯週間継続中」って表示が出るんですよ。
今うちは5週間らしいです。ガンバレ〜!
唯川の最後の更新から久しいですが、感情の起伏は誰にでもあるさ。とりあえず継続表示がテンション上がるので、自分が繋いでおこうと思って更新してます。「tobeうるせー!唯川うつ日記について聞かせろ!」って思われとるかも知れん。笑
唯川ちゃんいつでもまた書いてな。
我々はファンコミュニティで出会った(もう二人とも辞めてる)同い年という以外に共通項が全然ないので、現在進行形で名に恥じぬ雑記ぶりを発揮しています。
きっとこれからも。自分ひとりとっても、いろんなジャンルに影響を受けてだらだらと考えを垂れ流してる。
我々、なぜブログを始めたかというと、「知らない人に向かって(または自分の心に向かって)正直に話してみたかったから」です。
どうしても実社会でつながりのあるコミュニティでは、言いづらいこともあるから。
加えて、tobeは大学で出た2000字程度の雑魚レポートを最後に、自分の考えを発信してこなかった。140字で小出しにすること以外で。
自分のパソコンを持っていなかった中高生の頃は、タイピングしたいがために文章を創作していたぐらいだった。どこにも公開することのないまま、未完で放置された1万字超の小説もある。そのぐらい、言葉が溢れてきていた。
SNSって、無自覚のうちに被る実害が結構あると思う。
容易く感情を消化してしまい、トイレに流しちゃうような。実際取るに足らない感情だったとしても、己から生まれた気持ちを雑に扱うのは、長期的に見て健康じゃない。
知り合いに見られることを常に意識して言葉を重ね、考えを抑圧し、発信を恐れた。聞こえもしない、見えもしない悪い噂や目線に、一人のときも怯えた。
SNS(主にツイッター)をだらだら続けて6年ぐらい。
感情の泉が死んでいた。
仕事でも言葉を紡がなければならない人間なので、「言いたいことが特にない」状況にやべえやべえ…!と焦りながら、今日まで来てしまっていた。
ここらでリハビリがしたかった。
という。
ただ雑言を書き殴るなら日記帳でよく(というか世界には出さん方がええ)、聞いてほしいのであれば聞き上手の友人に委ねればいい。
でも、"自分がどこの誰であるか"を伝える必要がなく、誰かに必ず届けようというものでなく、期待で潰されていないピュアな心をニュートラルに発信できる文章にこそ、自分がきちんといる気がする。
誘ったのはtobe。乗り気になってくれたのが唯川。
きっとそれぞれ別の理由で、自分のニュートラルと再会する必要がある。
のを、内心で自覚していたんじゃないだろうか。
このあいだ、数年ぶりに人前で泣いた。
泣いたというか、話を聞いている途中で静かに涙が零れた。怒られたのでも悔しかったのでも、悲しかったのでもない。自分でも戸惑い、相手に理由を正しく説明することもできなかった。
ただ、漠然と幸せを自覚して、辛かった。
「君の名は。」でも見せておけば何度でも泣けるぐらい物語や人の感情には涙脆い。でも我がエモーショナルとなると、涙はアマゾンの奥地へと息を潜めてしまう。
悔しいときはよく泣いたけど。怒られたとき。理不尽に反撃できなかったとき。自分の無力さを呪ったときは。
それも除くと、風邪引いて吐いてる時ぐらいじゃないか、しんどくて泣いた最後なんて。
単純に強がりだし、小学生のときにいじめられて以降やんわりと人間不信なので、防御せず人と接することが難しい。でも、根本的には人がすごく好きだし、大事な友達を愛しながら死んでいきたいと思っている。
「意地を張っていなくていい、この人なら自分の弱さを笑わないだろうなと思える友達と出会えたこと」を正面からズドーンと受け止めて実感したのだと思う。
そんなこともできていなかったらしい。過去の自分に教えてあげたくなった。
まだ記事になってないこともあるけど、ブログを始めようと唯川といろいろ喋っていたあたりから、「自分について考え言語化すること」に割く時間が増えていた。
誰も待ってない。時給にもならない。でも確かに息をして、今日も生命という緻密なマシンに指示を出している大きな組織を、考える時間。
「雑記ブログやってたら泣けるようになりました」なんて言われても「は、はぁ…」といった感想しか持たないのは自分も同じだけど、ちょっとだけ変わった。
いずれはお互い、人が読む価値のあるような記事を書ければそりゃ良いけど。今は慣れるためのプレ期間なのでとにかく不器用ながら続けてみるっきゃない。
会うたびに毎回泣く奴にならないように気を付けつつ。
tobe
ファンでいることを悔いることがないグループしか応援したくな〜い(tobe)
応援したいアイドルグループに出会ってしまった。
もう、そういうのにハマることなんてないと思ってたのに…
tobeは、いわゆる「ガチ恋」系ではなく「何様やねん」みたいな評論目線で、大した金額も落とさない癖に口だけは達者な客であることを自覚しているので、熱を入れて何かのファンを自称しなくなって久しい。
ただ、アイドル論についてはめちゃくちゃ興味がある。
ソロは専門外なので、今回は備忘録の意味も込めて、自分のアイドルグループ応援歴と、アイドルグループの存在自体について、考えていることをまとめてみる。
日本で一番経済を動かすグループでアイドルファンデビュー
2011年から5年ほど、「嵐」のファンだった。
すでに国立競技場でライブをおこなっており、ドラマにCMに引っ張りだこ。数字的にもおそらく頂点を奪取した、すぐあとぐらいの時期だ。
売れてもいつまでも気取らない存在で、友達のような仲間と、肩を組んでいる5人の姿を見るのが好きだった。
そして繰り出される、総合的最高峰なライブエンターテインメント。想像される練習量。それまで誰のコンサートDVDも見たことがなかったので、大規模な演出・舞台装置にも惹かれた。
番組は毎週録画して、気に入ったシーンはDVDに焼き、ライブにも1度だけ入った。グッズもいくつか買ったし、映画も何本か観に行った。
その後、私は進学によって環境が変わり、また嵐も個人仕事が増えて、熱は自然と消滅していった。
嵐の応援モチベーションは、「自分のエネルギーにしたい」というものだった。
大人気国民的アイドル。自分一人の応援の有無などそよ風にもならない。「自分とタレントの距離の認識」はなく、太陽の暖かさをお裾分けしてもらっている感覚だった。
勉強も部活も、根気をもらって乗り切った。好成績を残せた。
青春時代の追い風をくれたことに感謝している。
素人集団・歌い手アイドルグループのファン時代
嵐が去っていったのに対して自分の中で存在感を増したのが、インターネットが活動の中心である「歌い手」のグループだった。
お金をかけなくても、かなりの頻度で配信があり、携帯ひとつで足を運ぶことができる。CMが入ることもなく、ゲスト中心のトークではないし、いつだって発信は内輪向け。友達と電話しているような心の距離。
年間ライブ本数が多い。チケットが当たる。安い。
会場キャパが狭い。なのに一般発売でも埋まってなかったりする。
Twiterをやってる。タダで考えを知ることができる。たまにイイネをくれる。
ライブ演出も物足りないし、パフォーマンス力も当然劣るのだけど、親近感が桁違いのグループの新鮮さにハマっていた。
もっと上に行ってほしい、という気持ちだった。
社会人をしながら音楽活動に楽しく励む、本当に明るい仲良しグループだった。
CDは売り上げても何千枚程度。自分が明らかな「1」を担っている感覚が、登り坂の彼らに貢献できている実感が、心地よかった。
が、
あるメンバーとファンとのベッドイン写真が出回り、友達がいつの間にか別メンバーとLINEを交換しており、加えてリハかと疑いたくなるようなひどいパフォーマンスのライブ回を引き当てて、CDデビューをして「させられてる」感の強い活動に転向してしまって、次第に足は遠のいた。
2年弱。儚かった。
それから数年、アイドルとは縁がない。
アイドルってなんだろうね
「アイドル」という言葉を定義するのは難しい。
広辞苑には「あこがれの対象者。人気者。」なんて出てくるけれど、無所属の地下アイドルから大手の大所帯グループ、清純派からヤンキー系までコンセプトも様々で、結成・解散の乱立するそれぞれが「アイドル」を名乗っているこの時代、もうそれだけが、「アイドル」の包含する意味合いではなくなっている。
高校生の頃は、若い自分の未来に期待していたから、その夢を乗せて一緒に頑張れる大きな箱を応援できていた気がしている。
(私がそうなだけだけど、今現在嵐のファンの方にモチベのインタビューをしてみたい気持ちはすごくある)
社会人になり、数年おきに強制的に変わる環境もなくなって、人生に多少慣れてきた。
もう今後は「為になりたい」というモチベーション抜きでは動けない気がする。次世代に託すような感覚だ。
…ちょっと忸怩たるものがあるけれど、それは置いといて。
為にならせてくれる活動を、応援したいなと思う。
為になったことを喜んでくれる人を、アイドルだと思いたい。
為になった結果で、大きなステージを踏んで輝くのを観たい。
過去の2グループを経て、「アイドルに対する美学」を妙に作ってしまっていた。
ので、それに敵うグループを見つけたらハマってしまい得るのだ、ということを忘れていた。
アイドルグループ、こう在ってほしい
で、現状見つけかけているわけですが、
「やらされてる感出てるぞ」「ファンに手出すなよ」「おいここはリハか」でアイドルに一時辟易した私としては、
ファンでいることを悔いることがないグループしか応援したくな〜〜い!!!
というのがアイドルに望む唯一だ。
誰だってそうだと思うけど。未来なんか分からないんだけど。
「応援してあげたのに」なんて思い上がった言葉は、死んでも吐きたくない。でも、あまりにもしょうもない事情が露呈したり、不用意で失墜したり、軽率に解散したりはしないでほしい。
グループで肩組んでる姿が好きだから。
見る目なかったのか、って思い出が霞んで、凹むから。
さて、「応援するに足るグループ」とは何かについて考えている。
数年前までは「事務所の力が強いタレントは管理が行き届いていて安全」という認識で相違なかった。J事務所のグループには、どこもそういうブランド力があった。
だが2020年、その伝説が崩壊しているのを、誰もが疑うことなく目の当たりにしていると思う。まさかという報道が続き、もう大御所グループの解散が遥か遠くの出来事のように感じる。
自分の中で、「アイドルに求めたいもの」がある。
- グループでいることの意味を考えること(内)
- 応援されていることを忘れないこと(外)
- 嘘をつかない人間でいること(心)
人は誰だって、「自分だけの本心」と、「心許せる身内」と、「外の人」へ見せる自分を、少しずつ違って持っている。
そのどれもを、なるべく誠実でいてほしいと願う。
これはたぶん己の課題でもある。人は皆アイドルグループ所属なのかもしれない(暴論)
具体的に言うと、
「メンバーを出し抜くことが許されない」ということ。
「失望されるような行動をプライベートでも取らない」こと。
「不人気に開きなおらず貢献できる道を探す」こと。
「考えのすり合わせを怠らない」こと。
「思ってもないセリフを言わない=本気で思って言えるようになる」こと。
「仲間を最も信用する」こと。
加えて、基本的にはその仲間を自分で選べる世界じゃあない。他人を変えることは難しいが、自分がどう在るかは選べる。気概はこのぐらいでいてほしい。
経年による意識の低下、厳しい時期に耐え抜けず、甘い誘いで足を踏み外すメンバーがいそうだと踏んだ瞬間、興味はあっという間に削がれるだろう。
tobe的に注目したいのは、顔面やパフォーマンスの精巧さよりも、インタビューでの熱意だったりする。
先の見えないビジョンについて、答えのない問いについていかに考えを積み重ねているか。
思えば嵐には繰り返し、「嵐のファンでよかったと思ってもらえるグループに」みたいなことを言っていた時期があった気がする(ファンが反芻していただけかもしれないが)。
少なからず、私の観ていた時期の彼らはいつも、多忙にあっても上記のバランスを絶妙に取れていたように思う。実は辞めたがってるメンバーがいたとか、色々あったと思うけど。
職業・頑張り屋さん
現代におけるアイドルグループは、何かのプロではないと思う。「頑張り屋さん」の集まりだ。(ダンスや歌唱パフォーマンスの高さは"アーティスト"として評価されるものと思っている。)
どれだけ頑張っているかに評価が集まり、いかに肩を組んで荒波に向かっているかを見られ、その姿勢や成果を発信していくのが意義のように思う。
応援したいアイドルに出会ってしまった。
デビュー間もないグループだ。
彼らは今のところ、お互いのことが好きみたいだし、素直に褒め合うのも上手。各々パフォーマンスへの努力も、数ヶ月ちがいで出たMVにすら感じられるし、トークにおいてもそれぞれのキャラクターを確率しつつある。
本当にこれから。伸びしろの塊だ。
今後、歪みが出てこないことだけを願っている。まだ若いから、考えも柔軟に変容する。一方で、付き合う人間や環境で未来が大きく変わる、危うい段階でもある。
大人がうまく介入しつつ、お互いの姿を見て時に肩を組み、時に切磋琢磨できる環境にしてあげてほしい。
きっとこのままの君たちならどこまでもいけるよ。
なーんて。
「お前の人生も頑張れよ」って自分のファンが自分に言っているので、自分の人生を頑張りながら、彼らの成長もたまに覗いて行こうと思う。
「応援したい頑張り屋さん」がアイドルなら、本当にみんなが誰かのアイドルなのかもね。
全文書いてあらためて「めんどくせー奴!」と思った。与太話はせず、ありったけを投じてくれるファンの方が、誰にとっても有難いに決まっている。
どうせ、嵐のときからtobeは「ハマった」とか言っても、アルバムType A〜Cの中で一番気に入ったジャケの1枚しか予約しないようなドケチ茶の間だ。
名前も出さないし邪魔はしないからさ、1枚買って暖かく見守るぐらいは許してぴょん。
tobe