ふたりのzakki

ふたりのzakki

とかくこの世は生きにくいのだ。

ファザーコンプレックス(tobe)

「なんだその態度は!!!!」
大声で怒鳴って、机を殴る。椅子を蹴る。頬を叩く。

「泣かせたかったわけじゃないんだ……ごめんね」
バツが悪くなると頭を撫でたりしたあとそう言い残し、自分の部屋に帰っていく。



そういう父の姿は常だった。
私は大人の男の本気の怒鳴り声がいまも苦手だ。
ベルの音を聞けば涎が止まらなくなるパブロフの犬よろしく、感情を待たずに涙が止まらなくなる。萎縮する。恐怖する。

 

 

まだ周囲で結婚している友人は少ないが、26歳あたりから結婚ラッシュの第一陣が始まるらしいことを知っている。もう来年の話だ。

死生観、恋愛や結婚観の話をすることが増えた。
恥ずかしかったりリアルじゃなくてできなかったそういう話を、できるぐらい総じて精神年齢が上がってきたんだと思う。

まだ見ぬ彼氏を求めて出会いに積極的な友人、結婚式に夢を抱き貯金に勤しむ友人、母に孫を見せたい友人、キャリアが大事で結婚はどっちでも良いけどとりあえず同棲している友人。
いろいろいる。

「どんなパートナーが自分の理想か」という話をするとき、「自身の家庭や生育環境」の話に波及することは少なくない。
子どもの頃から「うちはこんな良い家族だよ」という自己肯定ベースでエピソードを話していたのだが、見栄を張らずに客観的事実を話すようになってから分かったことがある。

うちの父ってDV人間だったんじゃね?

 


・突然大声を出し物を叩いて、相手を威嚇する
・たま〜に手や足も出る
・キレる理由がだいたい「態度が気に入らなかったから」
・平均30分は中身のない説教が続く
・月1回ぐらいは何かしらを理由にキレられる
・気が済んだら急に手を引き、泣き疲れた子どもに「そんなつもりじゃなかったんだ」と優しく声をかける
バツが悪くなると立ち去る

友人たち顔を引きつらせながら話を聞いていた。
どうやら普通のお父さんはこういう風に怒らないらしい。


例えば出血やアザができるほど殴るだとか、寒空の下ベランダで一晩放置されるとか、そういう明確なものはなかった。
とくに不自由なく健康にここまで育ててもらっていることを今でも感謝している。

当時30代の父は、バブル崩壊後に就職期を迎えて、右肩上がりの経済が終わり価値観の変わりゆく社会に揉まれながら生きていた。「失われた20年」の世代だ。
理不尽な出来事や重圧が山ほどあったと思う。

50代を迎え、役職を得てから顕著に性格の変化が現れた。
今はほとんど怒鳴らなくなり、人を見下す態度もだいぶ軟化した。
経年による変化も一因だろうが、地位が安定し年収が上がり心に余裕ができたのが主要な理由だと思っている。

つまり、心の余裕がないから怒っていたのだ。あの頃は。


自分が大変だからといって、それが他人を脅かしていい理由にはならないことは言うまでもない。
それでも私は肉親の人物像をきちんと言語化するのに20年余りを擁した。

世間のDV被害エピソードを見聞きしても「ひどい親がいるもんだな」という感想を抱いて終わっていたのだけど、グラデーションが淡いだけで私もそのうちの一人だったんだろうなと理解した。

 

自分が可哀想な人間だということは案外盲点で。
そして家族という加害者を糾弾するのは本当に難しい。

 

 

父はいま、当時の話を掘り返すと「覚えてないよ〜」と笑ってごまかしたあと大体の確率で拗ねる。
面倒だなあとか、理不尽を感じている心が透ける。

 

みんなと話していると、幸せな結婚(なり人生)を歩んでくれ〜と思う反面、自分が全然そこのラインに立てていないんだと気付かされる。
フラットに自分の未来を考えることができない。ずっと、子どものころ与えられたクリスマスプレゼントの空箱の覗いて何かを探している感覚だ。
来た道の片付けが終わっていない。


ファザーコンプレックス、とでも呼ぼうか。
ニュアンスだいぶ違う気がするけど。

 

 

tobe