ふたりのzakki

ふたりのzakki

とかくこの世は生きにくいのだ。

後遺症:人間不信(tobe)


小学校六年生のとき、「いつも仲良し4人組」の一員だった。
クラスのヒエラルキーでいうところの頂点。休み時間は必ず男子を交えてドッジボールをして遊び、放課後もそんな感じだった。だいたいそれぞれがその中に好きな子がいて、子どもなりの駆け引きをしながら過ごしていたと思う。

4人組のリーダー格が、私に対して当たりを強めているのに気付いたのは秋頃だった。不自然に態度が悪くなったり、輪に呼ばれないことが増えた。
嫌な感じがして、学校を1日仮病でサボった。


翌日から、誰も私を居ないものとして扱うようになった。



人伝に聞いた理由は、要約すると「男子に愛嬌振りまいてたから」らしい。かわいいね〜。
顛末としては、私はヒエラルキーでいう最下層、体育が苦手なタイプの女の子たちに匿ってもらい(もともと仲良かったが)、ターゲットは一ヶ月後には別の子になっていた。
リーダーの子はその後も次々とターゲットを変え、敵を作り過ぎて、最終的に一人ぼっちになってしまったのだった。


教科書に落書きされたとか、トイレで水をかけられたとか、物理的な攻撃は一切受けていない。これを「いじめ」と呼ぶかは個人の裁量だ。


ただ、一人ぼっちの期間は思ったより堪えた。



以降、「二度とハブかれないだけの理由」をずっと探す人生を送っている。
己の存在価値に自信がなかった。今もない。

持ち上がりで中学に入ると、すぐ筆箱とは別に文房具用のポーチを用意して、ハサミやカッター、ホッチキスの替え芯に穴あけパンチまで背負って毎日登下校した。便利で利用価値の高いやつはハブかれないと思ったからだ。

夏休みの後半はメールで「宿題の答えを教えてあげる係」に努めた。
気を逆撫ですることのないよう、全員の名前に「さん」か「ちゃん」を付けて呼んだ。
少しでも機嫌悪く接されたら、翌日からの悪夢へのイメトレを欠かさなかった。
ヒエラルキーの上に行くことは望まず、目立たず静かにやり過ごした。
そんな生き方が、根付いてしまった三年間だった。

いま、「自分と関わった人間は得をしてほしい」と思って生きているけれど、深層的には他人に尽くしたい想いからではない。孤独にならないための理由作りに過ぎない。

13年も前の話なのに。寂しい人間だ。

ずいぶん和らいだけれど、一生完治しない心の後遺症な気がしている。どこかでいつも「明日は孤独だ」「この人も自分を裏切る日が来る」「踊らされている」という可能性(限りなく低く、被害妄想に近い)を、考慮しながら生きている。



この前、隣の家の同級生と家飲みを決行した。よくしゃべる相手だったので2年ぶりに会ったのも相まって夜を明かしてしまったのだけど、
「彼氏いんの?」から始まり、「てか結婚願望ある?笑」を経て、最終的には「色んな人と会った方がいいよ」とのアドバイスを賜ってしまった。

「仲良くなってみないと好きになるかどうかわからないタイプなんでしょ?なら、人脈広げたら好きな人にも会える率あがるって」


難しいこと言うよなぁ(笑)。普通の人だったら何の気なしにくぐれるコミュニケーションの扉が、非常に難関なのだ。一見くぐれたとしても、心が置いていかれている。
「普通が難しい人間」がいるということを、普通の人は想像しない。


「好きだから」とか「なんとなく」といった直感的な理由で、人と居ることを選択できない。そういう不確かな理由で積極的に動けないので、色恋沙汰はおろか友達が増えないのも仕方がない。



人見知りも治ったし、明るい性格のように振舞うことも上手になった。日常生活で困ることはなくなった。
人と接することを極限にまで減らした結果だ。
接さなければ、悩むことも苦しむことも、怯えることもボロが出ることもない。

これを克服して、目指したい別の人格があるわけでもないのだけれど、もう少しハードルを低くして人に話しかけられるようになりたいな〜、と思うことはある。
目下考えている解決方法は、「全部言っちゃう」ことだ。めんどくさいよ、こじらせてるよ、人間不信だよ、と。


新しい人に出会うことが難しい世の中だけれど、ちょっとそれで実験したい気持ちにもなっている。早く外に出掛けられる世界にならないかな。

 

 

(tobe)