ふたりのzakki

ふたりのzakki

とかくこの世は生きにくいのだ。

他人の家を片付けて、自分の死に様を考えた(tobe)


祖父が12年前に死んで、癌で亡くなった祖母が1周忌を迎えた。
誰もいない家には月に数回、親戚が出入りして管理している。

人の住まなくなった家は朽ちるのが早いと聞く。



人をもてなすことの多かった家で、冷凍食材、乾麺、缶詰…とにかく買い込まれたあらゆるものが戸棚や冷蔵庫の奥で眠っていた。
祖母の生前も母は帰るたびこっそり減らしていたようだったが、もう家主の許しを得る必要もない。

1周忌を終えた翌朝。母に指示されるまま庭に大きな穴を掘って、缶詰の中身をひっくり返し始めた。(庭があるとこういうことできるんだなと人生ずっと賃貸の民は思った。)

昼前に祖母の弟夫婦もやってきて片付けに当たった。


冷凍の肉も魚も転がした。日付が確認できた一番古いものは1993年製造の茶葉だった。
真っ白のはずの薄力粉が茶色になり菌で糸を引き、乾燥昆布がカビで真っ白に、上白糖はスライムに化けていた。
階段下の物置からは大量のネズミのフンと、奴らに齧られた細かいビニールや紙屑が出てきた。

二十余年、ここには年に一度訪れていた程度でほぼ他人の家に等しい。親戚と母に指示されるままに働き、そうしているうちに不思議に思ったことがあった。
私も含めた全員がこのバケモノみたいな食品や臭く汚い片付けを「やらされている」と感じていない。これだけ片付けないまま世を去ったことに悪態をつく人間も誰もいなかった。


祖母と祖父の生き様がそうさせていた。思い出と笑い話がこぼれ、各々が心の底から己の使命と恩返しのために手を動かしていた。


 

人の庭に穴を掘って食べ物を捨てる貴重な体験しながら、死に様ばかり考えていた。
二人を弔う感情ではなく、今生きる人間として祖父母が羨ましくて仕方がなかった。

長生きをするなら、こんな逝き方がしたかったな。



祖母は入院していて余命が分かっていたので家族全員が見舞いに来られた。祖父の葬式にはなんだか大勢の人がいた。

あのときは本当に世話になって。
惜しい人を亡くした。
もっとあんたとしたいことがあったよ。

そう口にする人たちを見るたびに孫として誇らしく思う半分、絶対に超えることのできない強大な壁を目の前にした気持ちになっていた。

あと50年余生きても、この景色は絶対に望めない。と、思う。
余裕のある一軒家を持ち客をよく招き、早期退職したあとは老後の生活を悠々自適に。相手を信用しいくらでも手を差し伸べお互い様で暮らしていく。
そういう時代じゃない。

 

おまけに世界では増加し続ける人口が食糧を喰らい尽くし、そう遠くなく戦争が起こるとか囁かれて久しい。妙なウイルスでそうじゃなくても不穏な火種はいくらでもあるし、自然の猛威も猶予なく待っている。

そういう未来の待っている地球に、誰かと寄り添って子孫を残そうという気概は持ち合わせていないし孤独死の老人になるまで粘る理由もない。


「人間は豊かになるほどに不幸になる」という統計結果をどこかで聞いた。
考えるほど絶望的だ。



築50年の祖父母の家は、主人を失ってもなお温かさを伴ってそこに在る。

 



(去年書きかけてたの無理矢理仕上げた)
tobe