ふたりのzakki

ふたりのzakki

とかくこの世は生きにくいのだ。

就活、社会、自己承認。鬱になっていく20代の友人達(tobe)

大半が大学生活を終える22歳を過ぎたぐらいから、周囲で妙に心を病む人が増えた。ここ3年間ぐらいの話だ。
「気持ちがすごく落ち込むだけだから病院には行ってない」という友達もいるし、実際に病院にかかって服薬をおこなっている友達もいる。

 


どうしていいかわからなくなる。
自分が本当に価値のない人間に思えてくる。
死にたい。

 

「…とは思わなくなったよ。浮き沈みはあるけどね」と、減薬し始めた友達が口にして、それが聞けて、死なないでくれて本当によかったと思った。
こういうとき、一番の友達でもtobeは渦中に相談してもらえない。なんか頑張ってるし忙しそうに見られやすく(表層取り繕うのが上手なだけだ)、大事なときそこにいられないのが悲しい。

 

誰にも救いを求めることができないから病なのかもしれないけれど。

 


また、友人達に共通するのは「あるひとつの大きなトラウマ(事件・事故)」などが起因ではなく、皆小さな出来事をゆっくりじわじわと重ねて蝕まれていっていたことだ。


山積した課題に追われ続けた学生生活の終盤、急に「お前の価値を説いてみろ」という課題が言い渡される。

就活というやつ。
(tobeは最終学歴が高校でぬるっと今の業種にいるのでその辺りは全部想像の世界だけど)

 

「私の長所と短所を5個箇条書きでほしい」
「こんな◯◯(商品)あったらいいなって思ったことない?」

 

同じ時期、滅多に顔を出さない高校LINEグループにそんな連絡がいくつか飛び交い、いくつか返した。
皆、大変そうだなと思った。


「自分が何者か」ということを考えないで済む「学生」という身分を背負っているうちに、自己承認の機会を持てていない人が多いなと思った。
たしかに、自分の長所と短所を書くのがナルシストみたいで恥ずかしいと思っていた時期が自分にもあった。

大学に合格して。サークルに入って。なんとなく恋愛なんかも経験して。
自分のことより他人のウワサの方が楽しくて、インスタ映えして、自問自答する時間より人を気にかけ人と喋っている時間が圧倒的に多くて。


どんなに立派な大学に通っていようと、自己分析の結果は大抵「案外自分はたいしたことがない」、だ。
それがどうも、降って湧いた出来事のように突然目の前に立ちはだかり、決して小さくない絶望感として襲ってきているように見えた。

理解できていないことは山のようにあるだろうが、なんとなくそんな方向に解釈している。


やらされてきたことしかない。
やりたいことがない。
でも好きなことをして生きていきたい。

モラトリアムに沈む友人たちは、苦しそうだった。


人は、自分に期待しないことなどできない。
絶望することに成功した人間はもう口を利くことができない。話したことはない同級生が数年前自殺したが、彼は絶望するのがうまく、力加減を間違えなかったのだろう。
生きている限り、自分の一生を面倒見なければいけないのは自分自身だけだ。

 

鈴姫みさこさんの、アイドルの恋活についての記事のなかの「80歳になったときに孫が見れない責任を、事務所の人たちは取ってくれないから。」という言葉がとても好きです。アイドル系の話もいつかしたい。
「現役アイドルは結婚できない」そんな見えないルールを壊すため、私は恋活アプリを使った - 音楽ナタリー

 

いまの仕事が何であっても、肩書きがなにであっても会社がどうでも。
そんなものはいつだって変わり得るし、おのれは一生おのれだし、生涯の伴侶と出会おうと、人生の間じゅう、ものを考え手足を動かす「意思」は一生独りだ。

うまく付き合っていかなければならない。

心は独りだ。

 

…ということに、きっと気付く機会が多いのが22歳を過ぎた頃なのかなと思う。
そして、価値観や人としての自立が進んで来ているだけに、地盤ごと揺るがすそのスケールの大きすぎる不安定な事実に、大きなめまいがする。
好きな子にフラれたあの夏とは、比べられないほど。

今までしっかりしていた人が、足を掬われている。(tobeは付き合いが悪いので連れションしたがるタイプとは仲良くならない。みんなしっかりしてた。そして話しやすい相手じゃなくてゴメン。)


投薬まで進むと、断薬なども含めて年単位で治療が必要だそうだ。そうじゃなくても、抉れた傷であれば同じぐらいかかるだろう。

tobeは「自分の友達には幸せになってほしい」、というのが人生のポリシーのひとつだ。さっき「心は独りだ」とか言ってたくせに。


どうしようもないことと闘って、小さな範囲で、暫定的でいいから勝利を得たい。そうやってどうにかみんなで先を切り開きたい。


医者ではないので何の足しにもならないのだけど、心を寄せ続けることだけは怠らないようにしようと決めている。それから、今患っていない友達も、心が溢れてしまうことのないように気を配りたい。

肝心なときに何もできない過ちは繰り返したくない。


教育問題にまで拡げると収集つかなくなるので一言で済ますけど、子どもたちは「自分という人間について考える機会」を、早いうちからもう少し穏やかに、時間をかけて与えてもらってもいい気がする。
もしくは、一生騙していく社会を作るか、だ。

将来就きたい職業なんか書かせてる場合ではない。

 

心の闇に差す朝日はまだ遠い。考えなければいけないことがたくさんある。

 

 

tobe

 

追伸:現在進行中&思考中の問題なので全体的に荒いのは許されたい。まだまだ考えの途中だし、変わっていくならその都度思考を書き連ねたい。そのためのzakkiだ。

問題だらけの世界に窒息死しそう(唯川)

気になってたタレントが、ツイッターでキレてる。好きだったアイドルに不仲説浮上して、メンバーはツイ消し繰り返してる。

 

周りを見渡しても、疑って、罵って、反逆を渇望してる。

 

みんな見えない火を放つ。

 

 

疲れたなぁ。

安心は、世界のどこにあるんだろう。

安心は、面白くないのかなぁ。

 

苦しいな、世界は。

 

唯川

ドラマチックに生きること(唯川)

6畳だった部屋が、10畳になって、ワンルームだった城が、1LDKの秘密基地になる。
私は6畳の個室からぶっ飛んで、3DKの我が家だったけど()

 

 

人生は、小説みたいだ

毎秒が当たり前のように進んで、今日を生きて、1週間になって、1ヶ月になって、1年になる。振り返ったら自分で「名作」と呼べるような人生にしたい。名も無い短編小説かもしれないけれど、私だけの、特別な一作に。

 

 

 私の小説

あなたとのストーリーが始まる。
それは期待に満ちていて、幸福で、生き甲斐にだった。

そんな時、私は鬱を発症した。
 

思い描いていた笑顔、美味しい朝食、カーテンの隙間から部屋に差す光…
全部、感じられなくなってしまった。

 

毎日泣いて、何かに理由をつけて怒って、また寝る。

 

人生を悲劇にするのは嫌だ。
悲劇を語るババアになりたくない。
日々は、面白くて、時に煌めいて、ドラマチックじゃないと。

 

焦れば焦る程、悲劇のページが増えて、更に焦りが増した。
なかったことにできるほど、私の人生は私にとって軽々しくもない。

 

 

焦った2年を過ごした私から

現在や、過去に、辛いことがあったり、なんて詰まらない人生なんだろう、
そう思って苦しい人や、そう思っていた自分自身に、前よりちょっと成長した私からアドバイスしたい。

 

 

まず、2年、やめたいものはやめちゃえばいい。

動きたくなきゃ動かなきゃいい。

面白くしなくていい。好きに怒ったっていい。

 

宣言しよ、社会に。
「私、2年は頑張りません!」

 

宣言したから、守るんや。

守れてる自分、マジ最高。

焦ることを、忘れなあかん。

無理しないことだけに集中する。

頑張ったら負け。

頑張らんって宣言したし、頑張らんねん、ごめんな。以上。

 

 

んで2年後くらいしたら、

「私、この2年マジやったったわ」

って喋れる人に喋ったり、やる気が出たことだけやってみて面白かったものをこの2年よりちょっと頑張ってみたりし始める。

 

人生にそんな時間、ちょっとやそっと、なんならたくさんあってもいいんじゃないかな。
2年って言ったけど、3年でも5年でも、気が済むまでやったらいいと思うよ。
逆にやってみれたらすごいと思う。報告してな。

 

 

もしどうしても、何かしないとって焦ってる人は

22歳の男性を思い浮かべる。テキトーなルックスでいい。

トランクにスーツを引っ掛けてる。

夜行バスで地方から東京にきた。

今日の昼過ぎ、就活の面接。

バスから降りて、マクドに駆け込んで、朝マックする。

そっから…

 

「ドラマチックに生きることはコイツに任せよ」

 

そう唱えて、お前は寝ろ。

 

おやすみなさい。 
唯川ちさき

 

 

寝れない、やめたいことがあるのにやめられない、背中を押してくれって人は、
Twitter@_yuikw まで。