ふたりのzakki

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とかくこの世は生きにくいのだ。

許せることと譲れないこと(tobe)

「"嫌だなあ"と思わないこと」を中心に行動している気がする。
この間"女性にみられるのが嫌だ"という話をした。
 

illdome.hatenadiary.com


じゃあ何なら"良い"のかといわれると、まあ「永遠の少年」が人生のテーマではあるんだけども、具体的な行動規範は案外ない。境界も曖昧だ。
この問題に限らず結構いろんなところで、「◯◯以外」という物事の選び方をしていたりする。

これがいい、は難しい。


「人生皆、イヤイヤ期なんじゃないか?」なんて。子育ても経験していない人間が言うと、ナメるなよ!と怒られそう。でも他人の拒否感情なんて、大人になろうと言葉に長けようと、到底理解できない気がする。
自分のイヤも同じで、人に行動を要求する形で伝えても仕方がない。
言えば嫌なことが起こらなくなる、と思うから不満が出る。お前の嫌は一生続く。

あらゆる価値観のすれ違いに対して、「まあ自分がわかってっからいいよ」と思える穏やかさでいたい。
それは諦めることと同等だと思うので、一抹の虚しさは伴うけれど。

まだ道半ばだけれど、コレ王道じゃないのか、と思う意見を抱くたびに、少しずつ上手に虚しさを消化している。


「本当に嫌だなあ」と思うこと
と、嫌だけど許せることがある。

譲れないときだけ反抗して生きていこう。たとえ世界を己が快適さのままに染められても、絶対に不幸になる人が一定数出てくるのだ。分かり合えない我々は、お互いの相違点を見ないフリして調和を保っているだけだから。
世界〜はひ〜とつ〜♪じゃ、全然ない。
その人たちの不幸の上に立ってまで、抑圧のない精神を手に入れたいとは思わない。


この間、次のキャリアのスカウトをやんわりと受けた。三十路過ぎた頃にどうですか、とのことだ。成果物をコンペティションに掛けてその先を競うような、いわゆる「食うため」の仕事スタイルの誘いだった。
「チャンスがあるならやりたいです」なんて、煮え切らない回答をした。

18の頃にも同じような話をされたことがあった。「Aの能力がダメだからBでだけ誘ってくるんだ」と否定された気分になって落ち込んだ(相手に他意はないと思うが)。煮え切らない回答すらも返せなかったと思う。

あなたにコレをやってほしい、ではなく、優秀な作品から選びます、のスタイルって自分がやる意味あるんだろうか?
いまの業態から離れるなら、お金を稼ぐという目的のためなら、早朝のコンビニバイトでもいい。興味のある職種って他にもいろいろあるし。
競争を勝ち抜いて超有名プロジェクトに関わりたい、という野心があんまりないのだ。世の中のそういうチャンスの仕組み自体を否定したいわけじゃない。

私は、嫌だな。という話。


正式に声が掛かることがあったら断ってしまおうな。ビッグプロジェクトに目を眩ませるなよ。正直、「いやいや、そう言わずに一度検討してくださいよ〜」と言わせるほど私は仕事したい相手じゃないということだ。立場が弱いし胃も痛い。


最近の若者はこれだから困る!と言われてしまいそうだ。根性なし!まだ一人前でもないのに向き不向きでものを考えるな!
…という人生の格言を賜れる古典的な上司のいる職場ではないので、ありがたく無視させていただこう。


母に「会社入ったら上司蹴ってやめそう」とお墨付きのtobeより