ふたりのzakki

ふたりのzakki

とかくこの世は生きにくいのだ。

やる気スイッチ入りました(tobe)

やべえ。結構サボっちゃった!

自分の思考をまとめるのに別個で日記もつけているので、日記で気が済んでしまうとどうしてもパソコンに手が伸びない、という現象。


こちらの進捗と言いますと、
なんと、やる気スイッチが入りました。(祝)


やる気スイッチ、入る

日記でも同じ現象が起きるのだけど、調子が良くなると自分と向き合うのをやめてしまいがち。でも、過去それで何度も失敗しているので、調子を長続きさせるために小さな変化を記録していくのは大事だと思う。
今回は、調子が良い状態も定期的に客観視していく所存。


前回、出口が見えている気がすると綴ったブログが17日。

illdome.hatenadiary.com

なにがきっかけだったのか、20日には「やる気スイッチ、入ったー!!!」とのメモ。嬉しそうな字だった。


最近の変化といえば、こんな感じ。

・新しく好きなアーティストができた
YouTubeのおすすめで手が伸びる動画の種類が変わった
・身にならない創作を幾つかやった
・決まっていた仕事のスケジュールが動き出した
ツイッターでネガティブな話題を検索、追従しなくなった
・人と会って話をした
・楽器の手入れをした
・家に花を飾った

まず、こういうアクティブさが出てきていること自体、精神が健康である象徴な気もするけれど…

大きく分けると、「遠ざけるもの」「受容するもの」の変化があった。情報の取捨選択を意図しておこない、暇つぶしに携帯をいじるときは、SNSではなく、情報の入らないパズルゲームを楽しむように変えた。
興味がないような動画も、サムネイルがいい感じだったらタップして観た。(以前は新しいものを受け容れる体力がなかった)


「やる気が出た」と言っても、体力や集中力に上限があるので、進度が爆速になったわけではない。だけど、あらゆることを「やりたいからやる」ようになった。
仕事を仕上げるのに同じだけ時間がかかったとしても、この状態は健康面で喜ばしい。猛ダッシュではなく、ウォーキングかジョギングが理想なのだ。



また友達が鬱になってた

ここでひとつ悲報というか…朗報というか。
この前、高校の同期が(たぶん)鬱だった、と打ち明けてきた。

詳しくはまだ聞いていないが、病院にかかったらしい。 


(一応誤解のないように。そう頻繁に連絡を取っている間柄でもない自分に近況を教えてくれることが有難い、という意味の「朗報」だ。)

住んでいる場所も所属も業種もまったく違う。伝えておかないと不具合が生じるような、同じコミュニティにはもういない。それに少なくとも私は鬱の経験者でもなければ、社会福祉士でも医者でもカウンセラーでもない。

言ったところでなんの役に立たない人間に、教えてくれたのだ。
何もできなくて申し訳ないなと思いながら、有り難うと思った。



もう、ここ2年で4人目だ。
元気な友達にちょろっとこぼしたら「ホイホイじゃん」と言われてしまった。確かに、もはや自分の存在が何らかの悪影響を与えてるのでは、とすら思えてきた(皆連絡取ってない間に患っているのだけど)。
友達もそんなに多くない。このままでは「じゃない」方が少なくなってくる勢いだ。

みんな罹る風邪ぐらい、治療/治癒が楽なものであれば良いのだけど。
自分と、自分を信頼してくれている周りの人ぐらいは幸せになってほしい。やれることがあるならなんでもする。一緒にいる。
無力感を噛みつつ、いま個人的にやる気スイッチ入っててよかったなと思うのであった。

引っ張られては仕方がない。気丈でいてこその、打ち明け相手だ。
ここ1、2年ぐらいずっと「己が道を。」という言葉を、反芻し続けている。



tobe




P.S. 最近、病院にかかるケースとの大きな違いだなと思ったのは、私は気分が塞ぎ込んでもグースカ寝れる。
過眠なのもあまり良くないらしいけど、睡眠はいつも8時間ぐらいで、成人にしてはちょっと長いかな程度。妙に体内時計がしっかりしているので、明け方に寝ても大体朝8〜9時に目が覚める。寝坊することはないし、二度寝なり昼寝なりで調整している。

つまるところ、私の「スランプ」はただ単に「やる気がねえ」の状態なのだ。怠慢!

やる気スイッチ掌握の旅は続く…。

スランプの荒療治メモ(tobe)

自粛自粛、の世の中で、なんとなく足止めを食らった気になって、実際は何も滞っていないのに動きが鈍っている。端的にスランプ。
四月、五月、…八月。サボる理由を見つけた魚のようだ。(そんな魚はおらん)

心をほぐしていく体験を、少しずつ増やしていく作業。
結果は出ていないが、結果の出し方は少し見えてきた。

また落とし穴にハマったときのためにメモしておく。

 
①昔よく聴いてた曲を聴く

嵐の「タイムカプセル」、「Summer Splash」、「Still...」を続けて再生しながらメンタルをエモエモにしている。「言葉より大切なもの」や「season」あたりを追加するのもあり。

心が瑞々しかったあの頃、響いていた音楽。
今に響かなくても、「響いていたこと」が今また響いてくれる。


②外に出る

大暑だ。
外に出て海を見て歩き回り、大汗をかいた。人に戻れて、少し夏休みをやれた気がした。
春がなかったせいか、自分の中で時間が止まってしまっていた感覚があったが、大股で一歩、次の季節には追いつけた。

一体いつ元の世の中に戻るんだろうな。
いや、きっと「戻る」のではなくて「進む」しかないのだということに皆薄々気が付いている。復旧、はインフラまで。あとは乗り越えた上にある復興、だ。


③エンターテインメントに触れる

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このあいだ書いたアイドルちゃんのオンラインライブがあった(軽率にチケット買った)。とてもよかった。このまま歌番組に持ってけそうな演出だった。
MCのちょっとした空白をつなぐはずの歓声が、まったく欠如していることだけが悔やまれた。あらためて、ライブは「体験興行」なのだと思い知らされた。

きっとどこの事務所も、大型新人はとくに「赤字でもプロモーション予算を山ほどかけて、売れてから回収する」という算段でやってる。
その計算されたストーリーが白紙になった。現時点での回収ができず、「さらなる継続投資」を余儀なくされている。会社が大きく、体力があるところだけが残っていけるだろう。

「母体の大きさや経験に欠ける新鋭の個人は、きっと淘汰されていくんだろうな」と、そんな気持ちにもなりながら見ていた。

ライブは、他に替え難い大好きな空間だけど、いつもちょっとだけ苦い。
でも、苦味も味のひとつだ。


④やりたいことをぽつぽつ叶えていく

近々映画館に行こう。ぜんぜん興味ないけど、旬の俳優が出てる泣ける実写化純愛モノとか選んでやろう。
もっかい海見たい。水族館も入りたい。
小説を読みたい。好きな作家のまだ読んでないやつをAmazonで頼んじゃおう。
あと、ほったらかしになっていたCSSいじりも再開したいな。
免許も合宿で取るならそろそろ申し込まなきゃ。

 

動きが見えてきた

心も脳みそも動きを鈍らせていることに気付いて、焦って焦って、焦った。その結果、参って弱り、心が潤いを取り戻しつつある。
この前なんでか分からんけど泣けたし。
 

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ギリギリ怪我の功名。
いま、少しだけ上向きの坂に立てているよ。


自由って怖いね

メキメキ成長していくアイドルちゃんのブログに垣間見えるプライベートを読みながら、「一日一日を浪費していないなぁ」と関心した。とはいえ自分も、学生のころ休みをゴロゴロして潰したりはしなかった。何も実ってないけど趣味に投じていた。
「時間が限られている」という感覚が強かったからだろう。今日が終わったら授業や部活があって、好きなことできる時間はなくなっちゃうから。
浪費することを勿体ないと素直に思える感覚。そのぐらい縛られた生活。


「何にも縛られない自由」は漠然で本当に危ういと、渦中にいて感じる。コロナのずっと前、2年ぐらいこんな生活してるので分かり切っていたことだ。
ナメていたせいで落とし穴に落ちた。
今だって「さすがに寝なきゃ」と慣習で思っているが、明日決まった時間にどこかにいかなくてはいけない用事はない。昼の宅急便を受け取るのに間に合えばいい。


「せねばならぬこと」が、ない。
つまり自分の存在ごとき代替が利いてしまう、ように感じるのだ。
そんなこたあないのは、健康な心で考えたら解るんだけどさ。自分でないとできないこと、響かない人、意味がないことはたくさんある。

でも、そうも思い直せないような暗雲に囲まれてしまうのがスランプなんだろうね。


スランプの荒療治

時間を積極的に消費+他人へ感情移入することで、半ば強制的に切り替えを促すのが今のところ功を奏している感じがある。
夢中になって、満足したあとの「さて、やるか」戦法。

それから、勢い、出たとこ勝負、時間なかったから妥協することも、大事。完璧を追っていく必要はない。
強大な自由を手の内に収めるのはまだまだ先になりそうだけど、うまく付き合っていってやろう。
きっと苦労して軌道修正を試みている今も後学になるからね。




あと最近、恩師が教育人になったのが自分の今ぐらいの歳だったのを思いついて、気が楽になった。あの人もう50過ぎてるけど、子どもに囲まれる立場になったのは今ぐらい。
当時からすごい先生と評判だったわけじゃない。卒業後十何年もOB会に顔を出す教え子を、まだ一人も育て上げていない。

あー、なんだ。まだ人生は全然始まりだった。
どうしても若い人に囲まれていると現時点で「完成形」を追い求めてしまうけど、いや、まだじゃん全然。



なっかなか死ねそうにないよなぁ。




tobe

後遺症:人間不信(tobe)


小学校六年生のとき、「いつも仲良し4人組」の一員だった。
クラスのヒエラルキーでいうところの頂点。休み時間は必ず男子を交えてドッジボールをして遊び、放課後もそんな感じだった。だいたいそれぞれがその中に好きな子がいて、子どもなりの駆け引きをしながら過ごしていたと思う。

4人組のリーダー格が、私に対して当たりを強めているのに気付いたのは秋頃だった。不自然に態度が悪くなったり、輪に呼ばれないことが増えた。
嫌な感じがして、学校を1日仮病でサボった。


翌日から、誰も私を居ないものとして扱うようになった。



人伝に聞いた理由は、要約すると「男子に愛嬌振りまいてたから」らしい。かわいいね〜。
顛末としては、私はヒエラルキーでいう最下層、体育が苦手なタイプの女の子たちに匿ってもらい(もともと仲良かったが)、ターゲットは一ヶ月後には別の子になっていた。
リーダーの子はその後も次々とターゲットを変え、敵を作り過ぎて、最終的に一人ぼっちになってしまったのだった。


教科書に落書きされたとか、トイレで水をかけられたとか、物理的な攻撃は一切受けていない。これを「いじめ」と呼ぶかは個人の裁量だ。


ただ、一人ぼっちの期間は思ったより堪えた。



以降、「二度とハブかれないだけの理由」をずっと探す人生を送っている。
己の存在価値に自信がなかった。今もない。

持ち上がりで中学に入ると、すぐ筆箱とは別に文房具用のポーチを用意して、ハサミやカッター、ホッチキスの替え芯に穴あけパンチまで背負って毎日登下校した。便利で利用価値の高いやつはハブかれないと思ったからだ。

夏休みの後半はメールで「宿題の答えを教えてあげる係」に努めた。
気を逆撫ですることのないよう、全員の名前に「さん」か「ちゃん」を付けて呼んだ。
少しでも機嫌悪く接されたら、翌日からの悪夢へのイメトレを欠かさなかった。
ヒエラルキーの上に行くことは望まず、目立たず静かにやり過ごした。
そんな生き方が、根付いてしまった三年間だった。

いま、「自分と関わった人間は得をしてほしい」と思って生きているけれど、深層的には他人に尽くしたい想いからではない。孤独にならないための理由作りに過ぎない。

13年も前の話なのに。寂しい人間だ。

ずいぶん和らいだけれど、一生完治しない心の後遺症な気がしている。どこかでいつも「明日は孤独だ」「この人も自分を裏切る日が来る」「踊らされている」という可能性(限りなく低く、被害妄想に近い)を、考慮しながら生きている。



この前、隣の家の同級生と家飲みを決行した。よくしゃべる相手だったので2年ぶりに会ったのも相まって夜を明かしてしまったのだけど、
「彼氏いんの?」から始まり、「てか結婚願望ある?笑」を経て、最終的には「色んな人と会った方がいいよ」とのアドバイスを賜ってしまった。

「仲良くなってみないと好きになるかどうかわからないタイプなんでしょ?なら、人脈広げたら好きな人にも会える率あがるって」


難しいこと言うよなぁ(笑)。普通の人だったら何の気なしにくぐれるコミュニケーションの扉が、非常に難関なのだ。一見くぐれたとしても、心が置いていかれている。
「普通が難しい人間」がいるということを、普通の人は想像しない。


「好きだから」とか「なんとなく」といった直感的な理由で、人と居ることを選択できない。そういう不確かな理由で積極的に動けないので、色恋沙汰はおろか友達が増えないのも仕方がない。



人見知りも治ったし、明るい性格のように振舞うことも上手になった。日常生活で困ることはなくなった。
人と接することを極限にまで減らした結果だ。
接さなければ、悩むことも苦しむことも、怯えることもボロが出ることもない。

これを克服して、目指したい別の人格があるわけでもないのだけれど、もう少しハードルを低くして人に話しかけられるようになりたいな〜、と思うことはある。
目下考えている解決方法は、「全部言っちゃう」ことだ。めんどくさいよ、こじらせてるよ、人間不信だよ、と。


新しい人に出会うことが難しい世の中だけれど、ちょっとそれで実験したい気持ちにもなっている。早く外に出掛けられる世界にならないかな。

 

 

(tobe)

「継続は涙なり」だったわ(tobe)

はてブのアプリ入れてるんですが、「◯週間継続中」って表示が出るんですよ。
今うちは5週間らしいです。ガンバレ〜!


唯川の最後の更新から久しいですが、感情の起伏は誰にでもあるさ。とりあえず継続表示がテンション上がるので、自分が繋いでおこうと思って更新してます。「tobeうるせー!唯川うつ日記について聞かせろ!」って思われとるかも知れん。笑
唯川ちゃんいつでもまた書いてな。

 

我々はファンコミュニティで出会った(もう二人とも辞めてる)同い年という以外に共通項が全然ないので、現在進行形で名に恥じぬ雑記ぶりを発揮しています。
きっとこれからも。自分ひとりとっても、いろんなジャンルに影響を受けてだらだらと考えを垂れ流してる。

我々、なぜブログを始めたかというと、「知らない人に向かって(または自分の心に向かって)正直に話してみたかったから」です。
どうしても実社会でつながりのあるコミュニティでは、言いづらいこともあるから。


加えて、tobeは大学で出た2000字程度の雑魚レポートを最後に、自分の考えを発信してこなかった。140字で小出しにすること以外で。
自分のパソコンを持っていなかった中高生の頃は、タイピングしたいがために文章を創作していたぐらいだった。どこにも公開することのないまま、未完で放置された1万字超の小説もある。そのぐらい、言葉が溢れてきていた。

 

SNSって、無自覚のうちに被る実害が結構あると思う。
容易く感情を消化してしまい、トイレに流しちゃうような。実際取るに足らない感情だったとしても、己から生まれた気持ちを雑に扱うのは、長期的に見て健康じゃない。
知り合いに見られることを常に意識して言葉を重ね、考えを抑圧し、発信を恐れた。聞こえもしない、見えもしない悪い噂や目線に、一人のときも怯えた。


SNS(主にツイッター)をだらだら続けて6年ぐらい。
感情の泉が死んでいた。


仕事でも言葉を紡がなければならない人間なので、「言いたいことが特にない」状況にやべえやべえ…!と焦りながら、今日まで来てしまっていた。
ここらでリハビリがしたかった。

という。

 

 

ただ雑言を書き殴るなら日記帳でよく(というか世界には出さん方がええ)、聞いてほしいのであれば聞き上手の友人に委ねればいい。
でも、"自分がどこの誰であるか"を伝える必要がなく、誰かに必ず届けようというものでなく、期待で潰されていないピュアな心をニュートラルに発信できる文章にこそ、自分がきちんといる気がする。

誘ったのはtobe。乗り気になってくれたのが唯川。
きっとそれぞれ別の理由で、自分のニュートラルと再会する必要がある。
のを、内心で自覚していたんじゃないだろうか。



このあいだ、数年ぶりに人前で泣いた。
泣いたというか、話を聞いている途中で静かに涙が零れた。怒られたのでも悔しかったのでも、悲しかったのでもない。自分でも戸惑い、相手に理由を正しく説明することもできなかった。

ただ、漠然と幸せを自覚して、辛かった。


君の名は。」でも見せておけば何度でも泣けるぐらい物語や人の感情には涙脆い。でも我がエモーショナルとなると、涙はアマゾンの奥地へと息を潜めてしまう。
悔しいときはよく泣いたけど。怒られたとき。理不尽に反撃できなかったとき。自分の無力さを呪ったときは。
それも除くと、風邪引いて吐いてる時ぐらいじゃないか、しんどくて泣いた最後なんて。

単純に強がりだし、小学生のときにいじめられて以降やんわりと人間不信なので、防御せず人と接することが難しい。でも、根本的には人がすごく好きだし、大事な友達を愛しながら死んでいきたいと思っている。

「意地を張っていなくていい、この人なら自分の弱さを笑わないだろうなと思える友達と出会えたこと」を正面からズドーンと受け止めて実感したのだと思う。
そんなこともできていなかったらしい。過去の自分に教えてあげたくなった。



まだ記事になってないこともあるけど、ブログを始めようと唯川といろいろ喋っていたあたりから、「自分について考え言語化すること」に割く時間が増えていた。
誰も待ってない。時給にもならない。でも確かに息をして、今日も生命という緻密なマシンに指示を出している大きな組織を、考える時間。



「雑記ブログやってたら泣けるようになりました」なんて言われても「は、はぁ…」といった感想しか持たないのは自分も同じだけど、ちょっとだけ変わった。
いずれはお互い、人が読む価値のあるような記事を書ければそりゃ良いけど。今は慣れるためのプレ期間なのでとにかく不器用ながら続けてみるっきゃない。



会うたびに毎回泣く奴にならないように気を付けつつ。



tobe

ファンでいることを悔いることがないグループしか応援したくな〜い(tobe)

応援したいアイドルグループに出会ってしまった。
もう、そういうのにハマることなんてないと思ってたのに…

 

tobeは、いわゆる「ガチ恋」系ではなく「何様やねん」みたいな評論目線で、大した金額も落とさない癖に口だけは達者な客であることを自覚しているので、熱を入れて何かのファンを自称しなくなって久しい。

ただ、アイドル論についてはめちゃくちゃ興味がある。
ソロは専門外なので、今回は備忘録の意味も込めて、自分のアイドルグループ応援歴と、アイドルグループの存在自体について、考えていることをまとめてみる。


日本で一番経済を動かすグループでアイドルファンデビュー

2011年から5年ほど、「嵐」のファンだった。
すでに国立競技場でライブをおこなっており、ドラマにCMに引っ張りだこ。数字的にもおそらく頂点を奪取した、すぐあとぐらいの時期だ。

売れてもいつまでも気取らない存在で、友達のような仲間と、肩を組んでいる5人の姿を見るのが好きだった。
そして繰り出される、総合的最高峰なライブエンターテインメント。想像される練習量。それまで誰のコンサートDVDも見たことがなかったので、大規模な演出・舞台装置にも惹かれた。

番組は毎週録画して、気に入ったシーンはDVDに焼き、ライブにも1度だけ入った。グッズもいくつか買ったし、映画も何本か観に行った。


その後、私は進学によって環境が変わり、また嵐も個人仕事が増えて、熱は自然と消滅していった。


嵐の応援モチベーションは、「自分のエネルギーにしたい」というものだった。
大人気国民的アイドル。自分一人の応援の有無などそよ風にもならない。「自分とタレントの距離の認識」はなく、太陽の暖かさをお裾分けしてもらっている感覚だった。
勉強も部活も、根気をもらって乗り切った。好成績を残せた。

青春時代の追い風をくれたことに感謝している。



素人集団・歌い手アイドルグループのファン時代

嵐が去っていったのに対して自分の中で存在感を増したのが、インターネットが活動の中心である「歌い手」のグループだった。
お金をかけなくても、かなりの頻度で配信があり、携帯ひとつで足を運ぶことができる。CMが入ることもなく、ゲスト中心のトークではないし、いつだって発信は内輪向け。友達と電話しているような心の距離。

年間ライブ本数が多い。チケットが当たる。安い。
会場キャパが狭い。なのに一般発売でも埋まってなかったりする。
Twiterをやってる。タダで考えを知ることができる。たまにイイネをくれる。

ライブ演出も物足りないし、パフォーマンス力も当然劣るのだけど、親近感が桁違いのグループの新鮮さにハマっていた。


もっと上に行ってほしい、という気持ちだった。
社会人をしながら音楽活動に楽しく励む、本当に明るい仲良しグループだった。
CDは売り上げても何千枚程度。自分が明らかな「1」を担っている感覚が、登り坂の彼らに貢献できている実感が、心地よかった。

が、
あるメンバーとファンとのベッドイン写真が出回り、友達がいつの間にか別メンバーとLINEを交換しており、加えてリハかと疑いたくなるようなひどいパフォーマンスのライブ回を引き当てて、CDデビューをして「させられてる」感の強い活動に転向してしまって、次第に足は遠のいた。

2年弱。儚かった。


それから数年、アイドルとは縁がない。



アイドルってなんだろうね

「アイドル」という言葉を定義するのは難しい。
広辞苑には「あこがれの対象者。人気者。」なんて出てくるけれど、無所属の地下アイドルから大手の大所帯グループ、清純派からヤンキー系までコンセプトも様々で、結成・解散の乱立するそれぞれが「アイドル」を名乗っているこの時代、もうそれだけが、「アイドル」の包含する意味合いではなくなっている。


高校生の頃は、若い自分の未来に期待していたから、その夢を乗せて一緒に頑張れる大きな箱を応援できていた気がしている。
(私がそうなだけだけど、今現在嵐のファンの方にモチベのインタビューをしてみたい気持ちはすごくある)

社会人になり、数年おきに強制的に変わる環境もなくなって、人生に多少慣れてきた。
もう今後は「為になりたい」というモチベーション抜きでは動けない気がする。次世代に託すような感覚だ。
…ちょっと忸怩たるものがあるけれど、それは置いといて。



為にならせてくれる活動を、応援したいなと思う。
為になったことを喜んでくれる人を、アイドルだと思いたい。
為になった結果で、大きなステージを踏んで輝くのを観たい。

過去の2グループを経て、「アイドルに対する美学」を妙に作ってしまっていた。
ので、それに敵うグループを見つけたらハマってしまい得るのだ、ということを忘れていた。



アイドルグループ、こう在ってほしい


で、現状見つけかけているわけですが、
「やらされてる感出てるぞ」「ファンに手出すなよ」「おいここはリハか」でアイドルに一時辟易した私としては、

ファンでいることを悔いることがないグループしか応援したくな〜〜い!!!


というのがアイドルに望む唯一だ。
誰だってそうだと思うけど。未来なんか分からないんだけど。

「応援してあげたのに」なんて思い上がった言葉は、死んでも吐きたくない。でも、あまりにもしょうもない事情が露呈したり、不用意で失墜したり、軽率に解散したりはしないでほしい。

グループで肩組んでる姿が好きだから。
見る目なかったのか、って思い出が霞んで、凹むから。


さて、「応援するに足るグループ」とは何かについて考えている。
数年前までは「事務所の力が強いタレントは管理が行き届いていて安全」という認識で相違なかった。J事務所のグループには、どこもそういうブランド力があった。
だが2020年、その伝説が崩壊しているのを、誰もが疑うことなく目の当たりにしていると思う。まさかという報道が続き、もう大御所グループの解散が遥か遠くの出来事のように感じる。


自分の中で、「アイドルに求めたいもの」がある。

  • グループでいることの意味を考えること(内)
  • 応援されていることを忘れないこと(外)
  • 嘘をつかない人間でいること(心)


人は誰だって、「自分だけの本心」と、「心許せる身内」と、「外の人」へ見せる自分を、少しずつ違って持っている。

そのどれもを、なるべく誠実でいてほしいと願う。
これはたぶん己の課題でもある。人は皆アイドルグループ所属なのかもしれない(暴論)

具体的に言うと、
「メンバーを出し抜くことが許されない」ということ。
「失望されるような行動をプライベートでも取らない」こと。
「不人気に開きなおらず貢献できる道を探す」こと。
「考えのすり合わせを怠らない」こと。
「思ってもないセリフを言わない=本気で思って言えるようになる」こと。
「仲間を最も信用する」こと。

加えて、基本的にはその仲間を自分で選べる世界じゃあない。他人を変えることは難しいが、自分がどう在るかは選べる。気概はこのぐらいでいてほしい。

経年による意識の低下、厳しい時期に耐え抜けず、甘い誘いで足を踏み外すメンバーがいそうだと踏んだ瞬間、興味はあっという間に削がれるだろう。
tobe的に注目したいのは、顔面やパフォーマンスの精巧さよりも、インタビューでの熱意だったりする。

先の見えないビジョンについて、答えのない問いについていかに考えを積み重ねているか。



思えば嵐には繰り返し、「嵐のファンでよかったと思ってもらえるグループに」みたいなことを言っていた時期があった気がする(ファンが反芻していただけかもしれないが)。
少なからず、私の観ていた時期の彼らはいつも、多忙にあっても上記のバランスを絶妙に取れていたように思う。実は辞めたがってるメンバーがいたとか、色々あったと思うけど。

 


 

職業・頑張り屋さん

現代におけるアイドルグループは、何かのプロではないと思う。「頑張り屋さん」の集まりだ。(ダンスや歌唱パフォーマンスの高さは"アーティスト"として評価されるものと思っている。)
どれだけ頑張っているかに評価が集まり、いかに肩を組んで荒波に向かっているかを見られ、その姿勢や成果を発信していくのが意義のように思う。



応援したいアイドルに出会ってしまった。
デビュー間もないグループだ。

彼らは今のところ、お互いのことが好きみたいだし、素直に褒め合うのも上手。各々パフォーマンスへの努力も、数ヶ月ちがいで出たMVにすら感じられるし、トークにおいてもそれぞれのキャラクターを確率しつつある。
本当にこれから。伸びしろの塊だ。

今後、歪みが出てこないことだけを願っている。まだ若いから、考えも柔軟に変容する。一方で、付き合う人間や環境で未来が大きく変わる、危うい段階でもある。
大人がうまく介入しつつ、お互いの姿を見て時に肩を組み、時に切磋琢磨できる環境にしてあげてほしい。



きっとこのままの君たちならどこまでもいけるよ。



なーんて。
「お前の人生も頑張れよ」って自分のファンが自分に言っているので、自分の人生を頑張りながら、彼らの成長もたまに覗いて行こうと思う。
「応援したい頑張り屋さん」がアイドルなら、本当にみんなが誰かのアイドルなのかもね。

 

全文書いてあらためて「めんどくせー奴!」と思った。与太話はせず、ありったけを投じてくれるファンの方が、誰にとっても有難いに決まっている。

どうせ、嵐のときからtobeは「ハマった」とか言っても、アルバムType A〜Cの中で一番気に入ったジャケの1枚しか予約しないようなドケチ茶の間だ。
名前も出さないし邪魔はしないからさ、1枚買って暖かく見守るぐらいは許してぴょん。

 

 

 

tobe

25歳、将来の夢(tobe)

こんにちは、ギャラ支払が行方不明になってる案件が最近もう1つ増えました。
フリーランス2年目、tobeです。連絡するのやだなー。

自己紹介って「年齢と性別と肩書きを〜」みたいな風潮があって、さらには成人を越えてくると「既婚か未婚か」もさらっと入ってきたりしますよね。
それに従うとtobeは「自営業25歳独身女性」なんですけれども。

…この字面キショいなぁ〜。ね、唯川さんや。



現実を受け入れられない端から見たらイタい奴のか、それともちゃんと自他共に認めるアウトサイダーなのかは知らないが、tobeは心だけでもボーイズビーアンビシャス、常々少年でいたいと思っている。(イタい)

さて、暗い記事を立て続けに出してしまったので明るい話に努めよう。
「将来の夢」の話だ。


その1:「カブらない友達」になる

tobeは「友達が少なく、その誰とも濃い話をする」タイプだけど、世の中にはいろんな人付き合いをしている友達がいる。類は友を呼ぶとも言うが、幼なじみは広く浅く、毎週末違う人とディナーや旅行やカフェを楽しんでいた(コロナ禍ではもっぱら暇そう)。

で、そういう人たちのとっての「友達」ってある程度のカテゴライズができるものではないだろうか。
◯◯っぽい人たち、◯◯が得意な人たち。愚痴って飲むならこの人たちで、恋バナならこの人かこの人たち。


みたいな。
ソレ、はみ出したいねん。


「はみ出しカテゴリ」を作られると危機であるが、とにかくtobeにとって「変人」は褒め言葉なのだ。「面白いね」も然り。

アイツ変わってるからなぁ〜、と思われていたい。
プライベートのSNSアカウントを持っていないので、直接連絡を取っている友達以外に近況を知る人物はいない。ふと思い出したとき「そういえばなんか面白いことやってそうだなー生きてるのか知らんけど」と思われてると嬉しい。

そして、現実も大概その予想に適っていたい。

小・中学生のときは通知簿に毎学期「真面目」「しっかり者」「まとめ役」などと書かれてうんざりだった。一度でも「お調子者」とか、「クラスのムードメーカー」とか書かれてみたかった!


その2:駆け込み寺を作りたい

海の近くに立つ古い民家、か、ボロアパート。手すりは適度に錆び、玄関を開ければ潮の匂いがするような場所。

「気軽に友達が遊びに来られるような空間」を持ちたい。(ロケーションは妄想オプションだけど)
甘いものが嫌いでなければ家主の独断でウェルカムドリンクはココアだ。他のが欲しけりゃ前日までに言ってくれ。


仕事に疲れたり。恋人にフラれたり。なんとなく休日暇だったりしたら、うちに来てただ愚痴をこぼして、適温にしておいた畳の部屋で井草の匂いを胸いっぱいにして昼寝をして。焼き魚に大根おろしを添えるので、かぼすは好きに絞ってもらって、白米と一緒にたらふく食べて。

明日現実に帰るのならそのあと発てばいいし、しばらく居られそうなら来客用に干しておいた布団で眠って、tobeの仕事をBGMに二週間ぐらいゴロゴロしていけばいい。


そういう場所を作りたい。いつか。
現実的なことを言うと仕事柄選べる物件が少ないし値が張るので、主に経済的な見通しが立たんけど。いざとなったら朝だけアルバイトとかして足しにしよう。


その3:モテたい(人類に)

モテたい。


これは先週ぐらいに思いついたままに唯川に言ってみたところ、呆れ果てたような言葉が返ってきた。割と生まれたてのワクワクした感情だ。

物覚えに早くも心配のあるtobeだが、去年の後半ぐらいから交友関係が広がり始めて「もうちょっと友達が多くてもキャパ的にいけそう」ということが分かってきた。
これから仲良くなれそうな人と話し、新しい知見を得るのは面白い。

よく考えたら、20歳になって以降知り合った関係で今も有効なものはまだ2つしかない。味見する心の余裕があるうちに、いい出会いをしておきたい。

…と言ったところで、コロナ。早くメシにいける世の中に戻ってくれー!


あと、死ぬまでにいっぺん見ておきたい未踏の地・恋愛にも繋がりそうだと思うので。(がんばれ)



ロクなのがない

他にないか考えてみたが、こんなものだった。めちゃくちゃ少ないな!もうちょっと探しながら生きよう。
「免許取る」みたいな数字っぽい目標はあるんだけど、それは目標だからなー。



子どもの頃から「夢」がなかった。サッカー選手になりたい!幼稚園の先生になりたい!お嫁さんになりたい!みたいな夢が。
小学校に上がる前には「ともだち100にんつくるんだ!」と息巻いていた証言を親から得ているがお前、残念な報せだ。いま10人もいないぞ。

その代わり、ずっと「こういう人間でいたい」みたいなのはあった。なんだか聞こえがいいが「自分でどうにかできるから"叶わなかった"とはならない=恥をかかない」という情けない理由で、だ。

結果そうやって保険をかけておいたことが、大人になってからの迷走に役立っている気がする。何にもなろうとしないなら何にだってなれるさ。


最近は1日で1つのことだけをせず、細切れにいろいろと手を出してみることにしている。作業進めつつ、ブログを書いたり、アニメ見たり新しい音楽を聴いたり。
とりあえず、「始めること」のハードルを低く持ち続けたい。



芸術系あるあるの「産みの苦しみ」とも解釈できるが、以前にない規模で迷走・逃走している。昨日はなんだか記憶の真相に潜っていろんなことを思い出しすぎたので、リセットするために早寝をした。 

うまく付き合って面白がって転がしていけるといいな。
25歳、将来の夢。

 

tobe

さっさと死のうと思っていた自分へ、いつか死ぬ自分へ。(tobe)


今日もまた人が死んでいる。
その同じ瞬間に生まれた命があって、公園で遊ぶ子どもがいて見つめ合う恋人がいて、酒に溺れる大人がいて非行に手を染める青少年がいる。
tobeは今日、ピーナッツクッキーと杏仁豆腐とチョコレートを食べた。実に罪深い!しかし仕事もちょっと進めたので、100点満点の土曜日だ。


…世界は全然ひとつじゃない。



死ぬことを考えた10代の終わり

10代が終わろうとしていた頃、なんとなく「30歳になったら死のう」と決めた。順当に考えておよそ健康体でタイムリミットを迎えそうなので、セルフ始末しようと考えた。

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前回、俯瞰的な視点で友人たちの話を書いたのに、「お前も病んでるんかーい!」とツッコまれそうだけど(誰に)、精神を患うようなマイナスなニュアンスではない。
穏やかな精神状態で、ぼんやり考えたことだ。


「意味のないこと」が嫌いだった。それは自分自身に対しても同じで、学生の内の濃い人生に比べてこの先は退屈一方だと感じ、反吐が出そうになっていた。
初めてちゃんと自分が死ぬことについて考えた。反抗期で父親にシネシネ思っていたそれとは全然違うリアリティで、冷静に、自分の閉じ方を考えた。

なるべく人に迷惑をかけないように死のう。方法はいよいよになってから調べるとして、まずは諸々の手続きにかかる費用と、迷惑料がたっぷり払えるぐらい金を残さなくては。
貯金が趣味になったのはその頃からかもしれない。

そうすぐにはお金は貯まらないし、好きなアーティストがそのとき30歳ぐらいだったから、とりあえずそこまでは生きることにした。(お前と一緒にアーティストも歳取るのにな。)
21歳ぐらいまでは、明確にそう括っていた。その頃知り合った友達にチョロっと言ったら「そっかぁ、寂しいなぁ」とだけ返してくれた。いい友達を持ったと思った。

 

 

…ということを、ついこの間ふと何でもない瞬間に思い出した。
忘れていた。すっかり忘れられるほど、熱中できる状況になっていた。

税金や保険料を自分で払うようになって、親を最後まで看る責務も感じ始めたし、健康状態を保つことを以前よりずっと大切にするようになった。心の休息を取るための何もしない日の存在を悪だとまったく思わなくなった。
30歳から先に就く仕事についても想定して、今のうちに何か資格を取っておこうとか検討している。

生きる気、満々じゃん。


きっと「牙を抜かれたな。つまんねえ大人になりやがって」って言おうとしてるだろ、18のお前。
だっせぇセンセーショナルだったなぁ!

残念だけど、お前の年齢よりまだ先につらくて大切な欠かせないセンセーショナルが待っている。もっと心を震わせるような出来事は大人になっても存在する。
だいたい、年食ったってだけで「大人」なんていないからな。みーんな子どもの続きだ。つまんねえのはそいつが大人だからじゃなくてつまんねえからだ。

そんで、今の世の中と自分を見てみろ。お先真っ暗、一歩間違えたら無職だぞ!面白いだろ。東京オリンピックは延期だ。報酬も滞納されてる。誰も明日を約束してくれない。逆に死にそうだぞ!
でも今が一番楽しい。そりゃ昔も楽しかっただろうけど。面白いぞ、仕事するのも、物作るのも。
いつか死ぬときのためにしていた貯蓄が経済不況に生きる不安を少しだけ和らげてくれている。モラトリアムで逃げた趣味が今の仕事につながってる。

苦しめ恨め。いっぱい考えろ。意味のない寄り道を愛せ。その上に今の己がいる。


「いつか死のう」というのは結構元気なときに合理的に考え出したことなので、一理ある意思として心の隅にまだ存在している。でも今は一時休戦だ。うっかり人と未来に約束をしてしまった。あれが現実になるのは至難そうだが、死ぬのはそれを果たし終えた後でいい。
そうやって長生きしちゃうオチちょっと見えちゃってるけど。

ま、また暇になって未来を憂うときか、人生に満足し切ったら、議論を進めよう。



あと5年。

25歳になった今、あのときの自分に従うとすれば、残されているのはたったそれだけだ。
そう考えると、幾分か荷が軽くなってするべきことも澄んで見え、明日も頑張って生きようという気力が湧いてくる。今もどこかで生きていくことのリスクに常々重さを感じているのは事実だ。
無責任だけど「今度死ぬから、一旦そこでリセットかけられるから」っていう設定で、今を走り抜けるのは生き方のコツのようにも思うよ。


そりゃもちろん、セルフ始末を選ばなくても、老衰で死ねるなんて幸せな保証は今日日どこにもない。過労、事故、病気、天災。いつかいつでも、人は死ぬ。


だけど、見渡せない遠くを見るのはしんどいよな。




「いつか死を選ぶこと」を許せる世界になったらさ、もう少しだけ生きながらえることができる人も増えるんじゃないかと思ったりする。もうちょっとだけ人生延長のつもりで、掬えるものも少なくない。
自分もそうやって、きっとフツーに死んでいく。

 

忘れてほしい。詮索されるために死んだわけじゃない。
悔やまないでほしい。個人の意思を否定しないでくれ。
葬式は開かないでくれ。勝手に心中ビンゴ大会なんて御免被る。
偲ばなくていい。呪ったりしないから。
恨んでくれていい。なるべく迷惑をかけないようにするけど。
追い詰めた人物なんていない。強いていうなら己だけだ。


続きをまた書くときまでちゃんと取っておこう。
さっさと死のうと思っていた自分へ、いつか死ぬ自分へ。


 


tobe



P.S. こんな話を書き進めていたら、著名で若い俳優が亡くなったというニュースで世の中が持ちきりになっていた。
あり得ないという深層心理からか、第一報を事故と空目した。自殺だった。

テレビで知らされなければ一生知らない距離の人の訃報で、憶測ポエマーが結構な数湧いているのが気味悪い。自分も赤の他人の一人だが、彼に申し訳ない気持ちになった。完遂してなお、ため息をつきたくなっていないといいけれど。

…なんて、勝手に心中お察ししてしまったので晴れて自分も連中の仲間入りだ。